活動報告

2020年を振り返って(2)

今年の振り返りの二回目は、カーボンニュートラルについて。

一回目では「3つのC(coal, carbon neutral, carbon pricing)」の一つ目の「C」、石炭についてお話ししましたが、菅総理が10月の所信表明演説で2050年までのカーボンニュートラルを宣言されたこと、その後の堰を切ったように動き出した脱炭素の流れは、間違いなく環境大臣に再任された私にとって最大の出来事の一つです。

以前から私は政府の中で『2050カーボンニュートラル』を宣言すべきと働きかけを続けてきましたが、「2050年にCo2を80%に出来るかどうか分からないのに、カーボンニュートラルなど無理だ」という受け止めがほとんどでした。
「欧米のように高い目標を掲げても、出来なかったらどうするんだ。これまで日本は、絶対に出来ることしか言わないことで国際社会からの信頼を勝ち取ってきたんだ」という声もよく聞きました。

私の考えはちがいました。『2050カーボンニュートラル』を宣言しないことで守られるものより失うものの方が圧倒的に大きい。「出来ることしか言わない日本」ではなく「高い目標に向かって果敢に挑戦を繰り返す日本」にならなければ日本が被っている「日本=石炭」という不当な評価を覆すことが出来ない。そしてどんなことを言っても、『2050カーボンニュートラル』の宣言国としての発信かどうかで、その発信力や影響力は、世界では天と地ほどの差があるという思いでした。
マドリードでのCOP25の経験を含め、気候変動外交の舞台で感じる日本と国際社会のコミュニケーションの違いを正さないと、日本の努力が報われないという強い思いがありました。

今回の菅総理の決断は、「出来ることしか言わない日本」から発想を転換させたものだと私は受け止めています。
さらにカーボンニュートラルを「成長戦略」として打ち出したこと。「気候変動政策の強化は、もはや経済の重荷やコストではなく競争力の源泉だ」というメッセージはこれまでの発想から大きく転換したものです。
この総理の宣言以降、政策の大きな前進が続き、企業や自治体の脱炭素へのうねりが凄まじい勢いで起きていることを見れば、『2050カーボンニュートラル』を打ち出したことが日本経済にとって不可欠だったことは明らかなのではないでしょうか。
もし、宣言せず「出来ることしか言わない日本」のままでいたら…。それは、堅実や真面目ということでは済まない、大きな機会損失(特に将来世代の)を被っていたでしょう。

もちろん、世界中で加速し続ける脱炭素の大競争で日本がチャンスを掴めるかは予断を許しませんが、間違いなくギリギリのタイミングでこの大競争時代のスタートに間に合ったと言えます。
そして、『2050カーボンニュートラル』宣言があったからこそ、2020年末にたどり着いた政策テーマが、3つ目のC、カーボンプライシング(carbon pricing)になります。

菅総理による『2050カーボンニュートラル』のインパクトについて私の受け止めの一端をお話ししましたが、次はカーボンプライシングについてお話しします。

2020年10月26日 所信表明演説全文