活動報告

【講演書き起こし】平成のうちにやるべきこと〜人生100年時代の社会保障と国会改革〜

こんにちは。小泉進次郎です。

先日、「平成のうちにやるべきこと」と題して、“人生100年時代の社会保障”と“国会改革”について講演し、その書き起こしをブログに公開しました。

長文ではありますが、私がいま政治家として考えていること、今後取り組んでいくことがまとまっていますので、ぜひご一読ください。

国策研究会会員懇談会 2018.10.15

(リード文)

〝平成のうちに〟やるべきこととは

「人生百年時代」が到来し、生き方や価値観が多様化する時代に、もはや戦後のやり方は通用しない。厚生年金の適用拡大、年金受給開始年齢の柔軟化、自助を促す保険料自己負担割合の設定など、柔軟な社会保障制度が必要だ。また、平成のうちに国会改革を何とか一つでも前に進めたい。

(講演書き起こし)

「人生百年時代」の到来

「人生百年」と言う言葉が定着しつつあり、最近の企業広告にも「人生百年」を使ったものが増えている。

例えば、ダスキンの広告には、「人生百年時代に、百番、百番。」というコピーとともに、「きんさん・ぎんさん」で知られる蟹江ぎんさんの娘さん二人、千多代さんと美根代さんが出演している。千多代さんは百歳、美根代さんは九十四歳。この広告の写真を撮った篠山紀信さんは、七十七歳だ。まさに、「人生百年時代」を表現した広告だ。

一方、富士フイルムの広告には、「楽しい百歳。」というコピーが、りそな銀行の広告には、「人生百年時代、到来! 長生きに、そなえよう。」というコピーが使われている。

実は、この「人生百年時代」という言葉は、我々自民党若手議員が中心になって組織した「二〇二〇年以降の経済財政構想小委員会」で生まれた言葉だ。この委員会が、今から二年半前に「レールからの解放」と題した提言を発表した。これは政治の場で初めて「人生百年時代」という言葉を使った提言だろう。

二十二世紀を見据えた新しい社会モデル

「レールからの解放」は、以下のような内容だ。

「レールからの解放」

─二十二世紀へ。人口減少を強みに変える、

新たな社会モデルを目指して─

〈二〇二〇年以降を「日本の第二創業期」と捉え、戦後続いてきたこの国のかたちを創りなおす。それは「人口減少」という確実な未来の中でも、日本が成長していくために、必要不可欠な変化である。

これまで日本社会は、一本道の「レール」を走り抜くような生き方を求めてきた。受験に始まり、新卒での就職、毎日休みなく働き続け、結婚して子どもを持ち、定年後は余暇を過ごす―「二十年学び、四十年働き、二十年休む」という人生こそが普通で幸せな生き方だ、と。それに基づき、終身雇用慣行や国民皆保険・皆年金などが生まれ、これまでは実際によく機能してきた。戦後日本が一丸となって努力し、ゼロから奇跡的な飛躍を遂げ、今日のような豊かさを持てたのは、そのような日本型経済モデルの賜物である。

しかし、人口減少による少子高齢化、さらに「人生百年」生きていくことが当たり前になる未来に、もはや戦後のやり方は通用しない。レールによる保障は財政的に維持できないばかりでなく、私たちが望む生き方とズレが生じてきているのではないか。

「一度レールから外れてしまうとやり直しがきかない」そんな恐れから小さなチャレンジにも踏み出せない。価値観が多様化しているにも関わらず、人生の横並びばかりを意識し、自分らしい選択ができない。かつて幸せになるために作られたレールが今、この国の閉塞感につながっている。

政治が、その「レール」をぶっ壊していく。もっと自由に生きていける日本を創るために。

新卒や定年なんて関係ない。「六十五歳からは高齢者」なんてもうやめよう。現役世代の定義そのものから変えていく。

百年を生きる時代だ。いろんな生き方、いろんな選択肢がある。十代のうちから仕事や起業という道もあれば、大学卒業後すぐに就職しないという選択もある。転職を重ねるのも、学び直しをするのも当たり前。いつだって子育てや家族のケアを最優先できる。何かに失敗したとしても、何度でもチャレンジできる。

学びも仕事も余暇も、年齢で決められるのではなく、それぞれが自分の価値観とタイミングで選べる未来へ。政治が用意した一つの生き方に個人が合わせるのでなく、個人それぞれの生き方に政治が合わせていく。そうすればきっと、百年の人生も幸せに生きていける。

それは同時に、働き方・生き方・教育の位置づけ、そして社会保障を見直すことにつながる。真に困った人を助ける全世代に対する安心の基盤の再構築は、小さなチャレンジや新しい人生の選択の支えになる。子育て世代の負担を減らし、現役世代を増やしていくことで、日本社会全体の生産性を高め、人口減少しても持続可能な社会保障になる。

簡単なことではない。しかし、終戦直後、敷かれたレールも無い中で、一人ひとりが挑戦を続け、世界に誇る唯一無二の社会モデルを確立したのが日本という国である。むしろ先人たちが遺した豊富な資産と、日々進化する新しい技術がある今、できないことは何もない。人口減少さえも強みに変える、二十二世紀を見据えた新しい社会モデルを、私たちの世代で創っていきたい。〉

副題にある「二十二世紀」という言葉を使ったのも、政治提言としては、「レールからの解放」が初めてだろう。

なぜ、二十一世紀の前半に、二十二世紀のことを語るのかというと、実は、今の子どもたちは、二十二世紀を見ることになるからだ。九歳以下の日本人の五〇%は平均寿命が百七歳なので、彼らが普通に平均寿命を全うすれば、二十二世紀まで生きることになる。

労働人口の割合はそれほど減らない

現在の生産年齢の定義は十五歳~六十四歳とされており、その人口の割合が今後減少する。しかし、十五歳から働いている人がどれほどいるだろうか。また、生産年齢の終わりは、本当に六十四歳でいいのか。

現在の社会の在り方を考えれば、生産年齢人口は十五歳~六十四歳ではなく、十八歳~七十四歳とする方が実情に合致しているのではないだろうか。

実は、生産年齢の定義を十八歳~七十四歳に変えれば、それほど労働人口の割合は減らないのだ。十五歳~六十四歳の人口の割合は、二〇四五年に五二%(推計)まで減少するが、十八歳~七十四歳では六六%(推計)にとどまる。

つまり、労働人口の定義を十八歳~七十四歳に変えることによって、悲観されているほど、労働力の減少は深刻ではなくなるということだ。

時代は「第一創業期」から「第二創業期」へ

「レールからの解放」から、次々と政府の政策が生まれつつある。我々は「レールからの解放」発表後、「人生百年時代」の社会保障として、次の三つの政策を掲げた。

(一)第二創業期のセーフティネット~勤労者皆社会保険制度の創設~

(二)人生百年型年金~年金受給開始年齢の柔軟化~

(三)健康ゴールド免許~自助を促す自己負担割合の設定~

「第二創業期」は、我々若手の議論の中から生まれた考え方だ。日本という国を企業のようにとらえ、戦後(一九四五年~)を「第一創業期」とすれば、二〇二〇年以降は、新たな「第二創業期」と位置づけられるのではないかと我々は考えた。

第一創業期の出発点は、まさにレールも何もない、敗戦による焼け野原だった。経済は、主に製造業によるキャッチアップ型だった。平均寿命(一九四七年)は、男性五十歳、女性五十四歳で、今よりも三十年も短かった。

人口構造は、「人口ボーナス」と呼ばれるように、毎年必ず増えていた。人生設計は、一直線のレール型であり、多くの方々が同じようなモデルの人生を生きた。雇用は、基本的に終身雇用。社会保障は、世代間の助け合いで、高齢者への給付が中心だった。

教育は、平均的に質の高い人材を新卒一括採用という形で供給するというモデルだった。地方の在り方は、田中角栄総理が目指した「国土の均衡ある発展」に象徴されるように、国土の画一的な発展を重視していた。これらが、第一創業期の在り方だったのではないか。

一方で、我々が見据えている二〇二〇年以降の第二創業期は、全く背景が変わる。出発点は、先人の皆さんが築いてくれた豊富なストックと、人工知能に代表されるような高度な技術や産業基盤がある状況だ。先人の方々に感謝しなければならない。

経済は、技術革命の時代だ。製造業中心の在り方ではなく、最近のソフトバンクとトヨタの提携に代表されるように、従来の業界の垣根がなくなりつつある。

平均寿命(二〇二〇年、推定)は、男性八十一歳、女性八十八歳となり、七十年前より寿命が三十年伸び、今後は「人生百年」が当たり前の時代となる。現在、日本の百歳以上の人口は、六万九千人に上る。私の地元の三浦市の人口(四万三千人)以上だ。

人口構造は、人口ボーナスと逆に「人口オーナス」と呼ばれるように、毎年人口が減っていく。そして、人生設計は、一直線のレール型ではなく、網状のネット型になる。

七十三歳で大学に入学した萩本欽一さん

最近、私の地元横須賀で開催した演説会に、コント55号で有名な萩本欽一さんを講師としてお招きし、私と萩本さんが「人生百年時代」をテーマに対談した。

実は、現在七十七歳の萩本さんは、駒澤大学仏教学部四年生なのだ。萩本さんは七十三歳の時に、駒沢大学に入学、それがニュースにもなった。そして、彼は『ばんざいまたね』という本を書いた。

私は同書を読み、目からウロコが落ちた。「こういう発想があるのか」と思うことが数多くあった。そして、萩本さんにお会いし、「なぜ大学に行くことにしたんですか?」と尋ねると、萩本さんは次のように語ってくれた。

「小泉さんの歳だと分からないと思うけど、七十歳を超えると、どんどん物忘れがひどくなるんだ。忘れないようにしなければと思っても、どんどん抜けていく。それで、ある時、思いついたんだ。もう仕方がない。どんどん出ていくんだったら、出ていく分だけ入れればいいと思った。そこで、大学に行こうと思ったんだよ」

そして萩本さんは、「大学に入学し、四年生になった今、一番頭が回る。だから、これからは、認知症を予防するために、病院に行くより『大学に行け』だよ」と語ってくれた。

このような話を聞き、私は素晴らしいと思った。そこで、私が話すよりも、萩本さん自身に話してもらった方がいいと思い、講演会にお招きしたわけだ。

多様な生き方に対応した柔軟な社会保障制度が不可欠

 

実は、大学生の年齢が十八歳~二十二歳だと思っているのは、日本人ぐらいのものだ。本来は、学びたい時が学ぶ時であり、世界的に見れば、七十七歳の大学四年生も、それほど珍しいことではない。

私も、コロンビア大学大学院に行っていたが、日本のように、二十代の学生が圧倒的に多い訳ではない。こうした一直線のレールにとらわれない生き方が、日本でもっと増えて然るべきだ。すでに、こうした網状のネット型の人生設計を始める人も出てきている。

最近、八十一歳でゲームアプリを開発した若宮正子さんが、多くのメディアから「世界最高齢のプログラマー」と紹介された。ひとり一人が、多様な生き方をする時代なのだ。安室奈美恵さんが四十歳で引退し、巨人の髙橋由伸監督も今年で辞められるということだが、人は何歳からでも再出発できる。

また、雇用においても、終身雇用ではなく、多様な働き方が広がってくる。

こうしたひとり一人の多様な生き方を支えられるような、柔軟な社会保障の制度や政策が今後重要になる。

本来、自らの力で生きられる人には、自助によって頑張っていただくことも必要だろう。財政の問題が深刻になる中で、支えを必要としている人に、いかに必要な資源を振り向けていくかを考えた時、我々が見据えなければいけないのは、真に困っている人であれば、高齢者の人であろうと、若い人であろうと、年齢にかかわらず支えていく社会保障を作っていかなければいけないということだ。

教育も、多様性に寛容な人材を育て、いつでも学び直しができるようにしなければならない。地方も、それぞれの独自性を活かした、多様で、自立した、彩りある地方を創っていくことが重要だ。

非正規労働者にも厚生年金を

このように、第一創業期と第二創業期を比較すると、それぞれの前提条件が全く異なるということがよく理解できるだろう。

だからこそ、第二創業期のセーフティネットとして、我々が掲げた政策の一番目の「勤労者皆社会保険制度」の創設が必要となる。

勤労者皆社会保険制度は、ひと言で言えば、厚生年金の適用拡大だ。働いている方には、正規と非正規がいるが、非正規の方々でも、社会保険が適用されるようにする必要がある。

国民年金だけではなく、厚生年金も給付されるようにすべきだ。そのために、厚生年金の適用を劇的に拡大させる方向で、社会設計をすべきだというのが、勤労者皆社会保険制度の主眼だ。

勤労者皆社会保険制度では、文字通り、勤労者は皆、社会保険に入ることになる。そうなると、当然、中小企業を含め、企業側からの反発があるだろう。企業は、働いている方の社会保険を折半しなければならないからだ。

しかし、日本の状況は人口オーナスだ。人口が減り、労働力の確保が難しくなる中で、今後は会社が人を選ぶのではなくて、働く人が会社を選ぶ時代になる。その際、どのような社会保険が適用されるかというのが、働く側の企業選択の判断材料の一つになるだろう。

また、働く側が、働き方改革に積極的で、労働環境が充実している企業を選ぶ時代になる。

企業が社会保険や労働環境を整えることは、人材への投資だということだ。人材への投資を躊躇するような企業には、いい人材は集まらない。そういう時代になっていくと思うし、なっていくべきだと思う。

すでに厚生年金の適用拡大は進み始めているが、企業の理解を得ながら、さらに適用を拡大していくべきだと考えている。

柔軟化すべき年金受給開始年齢

二番目の「人生百年型年金」については、九月の自民党総裁選で、安倍総理も唱えていたが、その起源は、我々若手の勉強会の提言にある。

現在、年金を六十歳~七十歳のうち、何歳から受給されるかは、ひとり一人が選択できる。

しかし、年金をもらい始める年齢を、七十一歳以降にすることはできない。七十歳以降も働いている方がいるにもかかわらず、七十一歳以降を選べないのはおかしい。したがって、年金受給開始年齢を柔軟化する必要があるということだ。

また、年金をもらいながら働いていて、ある程度の所得がある方は、年金額をカットされる。これは、在職老齢年金制度と呼ばれる。

これに対して、我々若手の勉強会では、働くことが不利益にならない社会を創るべきだと考えている。年金をもらいながら働いている方も、年金額をカットされない制度設計をすべきだ。

この在職老齢年金制度の見直しと、年金受給開始年齢の柔軟化が「人生百年型年金」の基本的な考え方だ。

よく誤解されるのだが、受給開始年齢と支給開始年齢は意味が異なる。受給開始年齢はひとり一人が何歳からもらい始めるかであり、支給開始年齢は一律何歳からしか支給しないという年齢を指す。現在、我々が議論をしているのは受給開始年齢の方だ。

我々は、受給開始年齢は八十歳でもいいのではないかと考えている。六十歳~八十歳までの間であれば、受給開始年齢は自分たちで決められるという考え方である。

現在は、六十歳~七十歳の十年間の幅をもって、ひとり一人が何歳から年金を受給するかを決めることができるが、頑張って七十歳まで延ばした時には、年金額は四割上がる。一方で、六十歳で受給するという選択をすると、減額をされたまま、薄く長く支給されることになる。

今後の制度設計において、受給開始年齢をさらに後ろに延ばした場合に、年金額をどの程度上げるかなどを検討しなければならない。

新たな制度設計をすることは、国民の皆さんが、年金の在り方について、改めて考えることにつながると思う。

自分が蓄えたものを取り崩しながら、年金を受給せず、できるだけ長く頑張り、「そろそろきついな」という状況になってから、年金をもらい始める。受給開始年齢を後ろに倒せば倒すほど年金額は増える。この「人生百年型年金」を目指して政府も本格的に動き出している。

自ら健康管理に努めることがプラスになる

三番目の「健康ゴールド免許~自助を促す自己負担割合の設定~」は、国民が自ら健康管理をするインセンティブを高め、そうすることがプラスになるという発想に基づくものだ。

制度として、健康管理のために、ひとり一人の行動変化を促すことを支援することができないかを検討している。

最近になって、かなり民間にも動きが出始めている。アメリカでは、すでに数年前から、「一日何歩以上歩く」など、健康管理に努め、その結果が出れば、保険料率が下がるというような保険商品が販売されている。日本でも、様々なところで、健康管理に努めることがプラスになるという取り組みが始まっている。

以上のように、「人生百年時代」の社会保障は、政治がひとり一人の多様な生き方に向き合い、新しい安心と社会の強さを両立するチャレンジでもある。

内外ともに大きく変化しつつある従来の秩序

現在、社会の変化は、様々な面に表れ始めている。

一つは、経団連の中西宏明会長が二〇二一年卒から就活ルールを廃止することを示唆したことだ。もう一つは、臨時国会で議論される予定の外国人材の受け入れだ。

私は、今、日本社会の持続可能性が問われ始め、それがこうした動きとして表れたのだと感じた。従来の固定化された社会の在り方を、多様な生き方を求める国民のニーズにどう合わせていくかが問われているのだ。

一方、海外を見れば、米中の貿易戦争を始めとして、今まで我々が当たり前に思っていた国際秩序が大きく変化し、新たな秩序の形成に向かい始めている。

国内、国外ともに、従来の枠組み、構造の調整期が訪れているのではないか。

突出して多い日本の首相・大臣の議会出席日数

こうした状況の中で、国のルールを決める機関である国会をどう改革すべきなのか。

先進国の首相の議会出席日数を比較すると、日本は年間百十三日出席しているのに対して、同じ議員内閣制のイギリスではわずか三十八日だ。フランスは九十一日。フランスでは、首相ではなく大統領が基本的に国家の多くの責任を持っているが、大統領は一年に一度も議会には出席していない。しかも、解散も、総選挙もない。次の選挙までは、基本的にはリコールもない。ドイツは六日だ。

大臣の議会出席日数はどうか。日本では、財務大臣が百五十一日、外務大臣が百七十日だ。この出席日数は突出して多い。イギリスは、それぞれ、わずか六日と七日だ。

この首相、大臣出席日数の異常な多さが、私が、国会改革の旗を必死に振る理由だ。

また、衆議院議員選挙後に、最初の本会議で行われる三つの選挙のやり方にも疑問を感じる。内閣総理大臣を指名する首班指名選挙、議長を選ぶ議長選挙、副議長を選ぶ副議長選挙だ。

首班指名選挙だけではなく、議長選挙も副議長選挙も、登壇して木札を入れて投票する。

しかし、議長は与党第一党から出すことが慣例で決まっている。一方、副議長は野党第一党から選出されることが慣例で決まっている。つまり、投票しなくても結果は決まっているのだ。にもかかわらず、議長選挙も副議長選挙も、わざわざ登壇して木札を入れて投票する。この三つの投票のために、今回も一時間五十分の時間が費やされた。

国権の最高機関としての儀式的な重要性は分かる。そうした儀礼によってもたらされる権威の力を、私も過小評価はしない。しかし、このような合理性のない時間を浪費していていいのだろうか。

現在の国会には、維持すべき点と改革すべき点とがあるのではないか。

外交に支障をきたしている外相の国会出席

我々は、平成のうちに、国会改革を何とか一つでも前に進めたいという思いから、国会改革を進める超党派の議連として、「『平成のうちに』衆議院改革実現会議」を結成した。

初会合には、河野太郎外務大臣も参加し、印象的なエピソードを紹介してくれた。

「外務大臣に就いて、改めて分かったことがある。諸外国から外務省に対して、次に日本を訪問したいという要請が来て、『外務大臣と会いたい』と言われた時に、国会出席がその障害になっているということだ。

『国会開会中なので、野党からの質問で呼ばれれば行かなければならない。突然キャンセルせざるを得なくなるかもしれない。もしくは、時間も短縮しなければ対応できなくなるかもしれない。それでもよければ、是非来てください』と答えざるを得ない状況だ。そのように返答すると、『それでは結構です』ということになり、日本ではなく、別の国に行くことが選ばれてしまう」

こうした現状を放置しておいていいのだろうか。河野大臣は、さらにもう一つのエピソードを披露してくれた。

「東南アジアの国に行く予定になっていたが、国会に呼ばれたため、行けなくなった。そこで、『申し訳ありません。電話会談でやりましょう』と提案し、電話会談を行った。その際、先方の外務大臣から捨て台詞で言われたことが、『電話一本で外交のカタがつくと思わないでほしい』だった」

日本の外務大臣が、外国の外務大臣からこのようなことを言われているのだ。

外交に支障が出るほど、総理と外務大臣は国会に張りつかなければいけない状況は、変える必要がある。

一方で、総理や外務大臣を国会に呼びたいという野党の立場も分かる。我々も野党時代には、そうした思いがあった。しかし、行政を監視するという国会の機能は、総理や外務大臣を、国会に留めておくことだけではなく、ほかの方法で果たすことができるはずだ。

外交力を発揮できない状況に危機感

先述した通り、現在、国際秩序の調整期に入ってきている。

金正恩、周近平、プーチン、トランプなど、パワーポリティックスに基づいた外交がダイナミックに展開されている。私は、こうした中で、日本が外交力を発揮するために必要なインフラが整っていないのではないかと危機感を抱いている。それが、私を国会改革に向かわせている。

国会改革は簡単なことではない。かつて、与野党で合意をしながら、全く動かなかった。だからこそ、どんな小さなことでもいいので、平成のうちに、一つでも動かしたい。

そのためには、国会についての国民の関心が高まらなければならない。「国会を変えなければいけない」という声が、国会の外からも挙がってくるように活動したいと思っている。

幸い、国会のペーパーレス化の議論が進み始めている。また、女性議員の出産時における電子投票、党首討論の夜間開催など、様々な論点が出ている。

現在、民間の側は、働き方改革をはじめ、苦労しながら改革に取り組んでいる。だから、民間の側から、「まず、政治が率先して改革に取り組め」と言っていただきたい。そうしたいい意味の外圧があれば、国会も変わっていくのではないか。

本日(十月十五日)の自民党総務会で通れば、私は厚生労働部会長に就くことになるが、国会改革とともに、「人生百年」と経済社会の構造変化を見据えた、安心と社会の強さを両立できる社会保障改革に全力を尽くしたい。

Q&A

Q 生産年齢人口の割合がそれほど減少しなくても、実数は減っていく。その時、どのようにしてGDPを維持していけばいいのか。

小泉 生産年齢人口の実数は、間違いなく減っていく。それを補うためには、人工知能などの新技術導入の加速が必要だ。

機械化によって、必要とされる労働力も減っていく。すでに、銀行などでは、採用人数を相当減らしている。

技術革新によって、今まで十人でやっていた仕事が一人でできるようになる。一人どころか、誰もいなくてもできる時代が来る。そうした変化も見据えていかなければいけないと思っている。

最近では、アマゾンが無人コンビニを展開しているし、ある牛丼チェーンは、無人牛丼店舗も視野に入れている。

一方、第一創業期と第二創業期では、若い人たちの考え方も変わってきており、第二創業期では、「仕事を選ばず、食うために仕事をする」という感覚が薄れてきているように思う。若い人たちは、自分たちがやりたいと思う職場に行こうとする。

そうした中でいかに雇用を守って、減少する生産年齢人口を補うかというのは、外国人労働者の受け入れも含め、今後考えていかなくてはならない。

人工知能を活用した機械化・無人化は、ブレーキを踏むことなく推進すべきだと思う。人手不足だからこそ、これを躊躇なくできる。これは、他の先進国とは違う日本の優位性だ。

例えば、インドは人口が日本の十倍以上いて、平均年齢が三十代という非常に若い国だ。毎年社会に出て来る若い人たちに、どのように雇用をもたらすかが重要な課題になっている。

これに対して、日本では、仕事はあるが人がいない。そのため、ブレーキを踏まずに、IT化・人工知能活用を加速できる。

Q 人口が減少すると、供給は維持できても、消費が縮小してしまうのではないか。

小泉 現在、年間二千八百万人の外国人観光客が日本を訪れ、新たな消費のパターンが生まれてきている。これは今後の日本経済にとって不可欠になる。日本の観光はさらに発展し、年間四千万人という目標も恐らく達成するだろう。

課題は、外国人観光客一人当たりの消費額を上げていくことと同時に、観光客の消費を地方経済の活性化に直結させることだ。

先日の沖縄県知事選挙の際、私は三回沖縄に入り、様々な人たちとお話したが、今沖縄では観光客が非常に増えている。一年半後には、那覇空港に二本目の滑走路ができ、さらに外国人観光客が増えることが予想される。

那覇のメイン通りである国際通りのドラッグストアが大繁盛で、外国人観光客が棚ごと買っていくそうだ。しかし、ドラックストアが繁盛しても沖縄にあまりお金は落ちない。

全国都道府県の一人当たりの平均所得は三百十九万円だが、沖縄の一人当たりの県民所得は二百十二万円にとどまっている。全国平均より百七万円も低い。観光客は増えても、地元にお金が落ちていないのが現状だ。

Q 税制全体を一から見直して、法人にも、個人にも、消費をした場合に恩恵を与えるような仕組みを作るべきではないか。

現在は社員旅行の費用もほとんど経費では落ちない。サラリーマンの人たちが購入するパソコンやスーツも経費では落ちない。これらの個人支出も経費として認めれば、消費がもっと活発になるのではないか。

小泉 消費が重要であることは疑いない。これに関して私が今考えていることは二つある。

一つは、現在日本では認知症が非常に増えているが、認知症の方が持っている資産が塩漬けになる懸念があるということだ。認知症の患者の持っている資産は数兆円に上るとも言われている。

判断能力が失われた人を保護する後見人制度があるが、未だ浸透していない。例えば、認知症のお父さんやお母さんの持っている財産を、どのように息子さんや娘さんや家族が管理するかという問題も、簡単ではない。

本来であれば、社会に流れるはずのお金が、ずっと塩漬けになってしまうことは、経済にマイナスであり、こうした問題は大きなテーマだ。

もう一つは消費税という名前が適切ではないのではないかということだ。

国や行政の立場からすれば、税は取らなければならないが、国民にとっては、税は「パニッシュメント」だ。国民は消費税について、消費をするたびに、パニッシュメントを受けているように感じるのではないか。

世界的には、消費税は「消費税」という名前ではなく、付加価値税(Value-added tax=VAT)と呼ばれている。

消費税導入時、財務省は何にでも使えるお金にしておきたかった。しかし、結果として現在は全て社会保障に使われている。であるならば、消費税の名称は、「社会保障税」であってもいいわけだ。

言葉が変われば行動も変わる

私は、社会保障分野で使われている言葉についても、国民がその内容を正確に理解してもらえるように、変えていく必要があると考えている。言葉は言霊だから、それが変われば、人の行動が変わるのだ。

最もいい例は、聖路加国際病院の日野原重明先生が、成人病と言う言葉を、生活習慣病に変えたことだ。

常々、日野原先生は、患者さんが「成人病だから。仕方がないですよ」というようなことを言うと、「それは違う。成人だから病気になるのではなくて、あなたの生活習慣がよくないからなるのだ」と言っていた。生活習慣が重要だということを理解させるために、成人病と言う言葉を生活習慣病に変えさせたのだ。

そして今では、生活習慣病という言葉は完全に根付いた。すると、人は生活習慣を変えようという意識が働くのだ。言葉の力は大きい。

だから、消費税が一〇%に上がった時、レシートに消費税一〇%と書いてあるのと、社会保障税一〇%と書いてあるのとでは、感じ方が違うはずだ。

自分が望んで買う時の消費は本来楽しいものである。消費税をパニッシュメントではなく、「消費イコール楽しい」と感じさせるような名前に変えてもいいのではないか。

 

Q イタリアの五つ星運動は、わずか八年で、国会議員の過半数を抑えた。五つ星運動は、自分たちの給料の半分をカットし、プールしておき、困っている国民に貸しているそうだ。彼らは、国民を豊かにするために、合理化を推進しているが、こうした動きをどう見ているか。

小泉 五つ星運動をはじめ、主要政党から重要なプレーヤーが出て来て、政権を取るという既存のルートではない、新たなルートが確立され始めている。トランプ大統領やマクロン大統領も既存のルートとは異なる。今後も、こうした新しいルートによって政権を取るケースが出てくるだろう。

政党として、五つ星運動のように、国民に信頼される在り方を目指していかなければならない。国民の皆さんが、「政治家の給料は高過ぎる。カットすべきだ」と言うのであれば、その通りだと思う。

ただ私は、十分な働きをしていると認められる人には、相応の報酬を払うべきだという考え方が、日本の中で根付くべきだと思う。

Q 現在の国際情勢は非常に危機的な状況にあると思う。こうした中で、日本の安全保障についてどのように考えているか。

小泉 今後わが国は、二つのセキュリティ、つまりナショナル・セキュリティ(安全保障)と、ソーシャル・セキュリティ(社会保障)を確立しなければ、国家の運営をできないだろう。

現在、安倍政権が安全保障部分において、揺るぎない舵取りをしていることが、高く評価されている。

米中という大国同士が貿易戦争を行っている背景には、将来のテクノロジーの覇権を中国に握らせないというアメリカの強い意志がある。

日本にはアメリカや中国にあるようなテクノロジーの基盤を持つプラットフォーマーと言われる存在がない。

アメリカには、アマゾン、グーグル、アップル、フェイスブックが、中国には、アリババ、テンセント、バイドゥ(百度)がある。日本にはヤフーなどがあるが、規模からすれば圧倒的に小さい。

ヨーロッパにはプラットフォーマーが存在しないので、ひとり一人のデータに対する扱い方を、むしろ規制する方向に向かっている。

テクノロジーを巡る動きに対して、戦略的に対応していくことも、安全保障上極めて重要だ。

また、北朝鮮とアメリカが、突如としてダイナミックな動きを仕掛けるなど、日本が自ら介入する間もなく、日本の周辺環境、日本が置かれている立場が、急激に変わってしまうのではないかという不安がある。

トランプ大統領は朝鮮戦争の終戦宣言を一日も早くやりたいと考えているのではないか。また、韓国の文在寅大統領もそれに邁進している。

仮に終戦宣言が行われれば、朝鮮半島における米軍の存在、さらに在日米軍の存在が問い直されることになり、こうした事態に日本がどう向き合い、どう自分たちの命運を自分たちで決めていくのかが問われる。国家としてその背景をしっかりと示していくのが安全保障だ。そのためには、アメリカをアジア太平洋地域に関与させ続けなければならない。

新たなステークホルダーを引き寄せる

トランプ大統領の政策によって、様々な不安定要因が出てきたが、それに伴って、日本とヨーロッパの関係が緊密化しつつあることは、前向きに捉えることができる。

例えば、日EUのEPAである。それに加えて、最近イギリスがTPPに関心を示し始めている。つまり、日本の取るべき戦略は、日米の関係をさらに強固にすると同時に、その他のステークホルダーをアジア太平洋地域に引き寄せることだ。この地域で起こることが、自分事だと思う国を増やしていくことが重要だ。

日EUのEPAが結ばれ、イギリスがTPPに加盟し、日本とヨーロッパが経済的な利害を共有することによって、この地域で、自由な経済活動が阻害されるようなルールメイキングを抑えることができる。

例えば、中国によって、我々とは異なる価値観に基づくルールが作られそうな時には、それを阻止する。海上の自由な交通も含め、様々な部分で経済的利益と安全保障の利益は一致している。

トランプ大統領の登場後、アメリカは自由、民主主義などの普遍的な価値観をあまり唱えなくなってしまった。アメリカに代わり、日本がそれを唱えなければならない。日本がオーストラリア、インド、EUなどと連携を強め、しかもそれが日米関係の強化につながれば、日本外交にとってプラスになる。

アジア太平洋地域に対して、周辺国だけではなく、ヨーロッパが関与する新たな時代が到来しつつあるのではないか。